メンバー(研究室、教員プロフィール)

研究室

★ 院生の攪上久子さんが、日本絵本研究賞奨励賞を受賞しました!

https://ehongakkai.com/info/winner.html

 

博士後期課程 学位論文題目一覧

2023年度

  • 森志津 幼小接続期における「かく」学びに関する研究 ―共同性の視点から―
  • 攪上久子 日本のバリアフリー絵本の課題と展望

2020年度

  • 大須賀隆子 宮武辰夫の幼児美術教育方法論

2019年度

  • 林志妍 韓国の就学前カリキュラムにおける「プログラム」に関する研究 ―「生態幼児教育」の実践を手掛かりに―
博士前期課程 修士論文題目一覧

2023年度

  • 髙柳うらら 幼児教育・保育の場における「気になる」とう感覚の多様性

―担任保育者へのインタビュー調査から―

2022年度

  • 栗原結海 保育者からみた保護者像に関する研究 ―管理職向け保育雑誌の分析から―

2021年度

  • 野中美佐子 幼児の睡眠に関する保育者の意識についての考察

―2歳から5歳の保育園児の午睡と生活リズムに着目してー

2019年度

  • 藤谷未央 臨教審の教育改革における幼児の遊びと直接体験への要請―1989年の幼稚園教育要領改訂へ向けた議論に着目して―

2018年度

  • 攪上久子 絵本の障害(バリア)を超えるー日本におけるバリアフリー絵本開発のプロセスー
  • 興梠侑 幼児期の環境教育に関する一考察―「子どもと環境の関係」の日英比較を通して
  • 渡邊はづき 公立図書館における児童書サービス実践の分析

2017年度

  • 伊藤美佳  保育者・保護者間の伝えあう行為を軸とした子育て支援への転換―前原寛・大場幸雄「保育者論考(1)~(11)2001年~2011年からの考察―
  • 植田成美  日本の保育における片付け観の歴史的変遷

2016年度

  • 冨田京子 「学びの連続性」を考慮した小学校一年生算数科・図形の指導 ―「まる」から「まるいかたち」へ―

2015年度

  • 白井美沙子 保育雑誌にみる「自然」の問題と「自然」概念―雑誌『幼児の教育』及び『保育』における1960年代前後の記事から―
  • 中村紘子 デンマークの「森の幼稚園」における保育観 ―「詩的ファンタジ-の世界」に着目して―
  • 森志津 就学前後における子どもの「かく」という行為に関する研究 ―共同性による「場」生成の位相から―

2013年度

  • 江副杏子  乳児への歌いかけに関する母親の意識 ―子ども観、コミュニケーションの視点から―

2010年度

  • 金子未希  倉橋惣三の生きた読まれ方を探る試み ―保育者が語り合う『育ての心』―
  • 児玉理紗  保育者の“語れないもの”の意味 ―語り手の語りを“聴く”という視点から―
  • 榊原友里 保育における演劇の意義の検討 ―演劇を「場」と捉える視点から―
  • 安田真緒  保育者の「提示」という行為を問い直す ~M.ポランニ-の「枠組み」概念を用いて~

2009年度

  • 安達敬子 「統合保育」再考 ―子どもたちの気づきの姿から―
  • 山下紗織  絵本が子どもにもたらす「効果」の検討―乳児と絵本の関わりに対するおとなのまなざしの変化から―

2008年度

  • 松永静子 保育園における園内研修の自立的システムの構築=2園交流型アクション・リサーチの試み ―乳児保育室の環境構成の変化と保育者の意識変容を通して―

2007年度

  • 金允貞 子ども理解における「わからなさ」の意義 ―怒りの保育学的考察を通して―

2006年度

  • 川辺尚子 入園時保育におけるアクション・リサーチ 発達的視点による保育者の意識変容

2004年度

  • 横井紘子  保育における「遊び」とは何か ―「遊び」概念再考―

 

教員プロフィール

■教員プロフィール(浜口順子)

お茶の水女子大学基幹研究院人間科学系 教授

お茶の水女子大学こども園 園長

大学院担当:人間文化創成科学研究科人間発達科学専攻 保育・児童学コース/領域

学部担当:文教育学部 人間社会科学科 子ども学コース

e-mail: takeuchi.hamaguchi.junko(at)ocha.ac.jp ((at)を@に変更してください)

【略歴】

・1977年4月 お茶の水女子大学家政学部児童学科入学

・1981年4月 同大学大学院(修士課程)家政学研究科児童学専攻

・1983年4月 同大学大学院(博士課程)人間文化研究科人間発達学専攻

・1983年9月~1985年6月 オランダ・ユトレヒト大学教育研究所留学

・1996年4月~2005年3月 十文字学園女子大学に勤める

・2004年3月 学位 博士(人文科学)取得

・2005年4月~お茶の水女子大学生活科学部人間生活学科発達臨床心理学講座助教授

・2013年4月 お茶の水女子大学基幹研究院教授

・2018年4月 お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科子ども学コースへ(現在に至る)

アメリカ・カリフォルニア州バークレーで生まれたが、3歳10か月から日本で生活。幼児期から児童期にかけての記憶は、鎌倉や横浜の山や海に囲まれた町にこびりついている。江の島付近の肉屋で母に買ってもらったコロッケが温かかった。2人の姉はアメリカの現地校で過ごしたので、自宅では英語が飛び交い私だけ取り残されていた。下の姉に「アメリカンインディアンの子どもだ」などと言われ、半分信じていた。10歳ごろだったか、ピアノの先生の家まで走っていく行く途中、林の裏道で転び、買ってもらったばかりの茶色いコールテンのズボンの膝に大きな穴があいてしまいひどく情けなく、母のガッカリする顔が思い浮かんで気の毒に思った。その頃、ときどき父はベーゴマや吹き矢で遊んでくれた。ゴミ箱の円周上に厚い布をかけてベーゴマの土俵をつくり、手ぬぐいを細長く切り裂きねじり撚ったひもに手のひらの脂を丹念にこすり付け、その糸を硬く硬くベーゴマに巻きつけていく。私も見様見真似でだんだん硬く巻けるようになり、土俵の真ん中にコマを載せられるようにもなったが、父にはとうとう勝てなかったように思う。また、おそらくお祭りで手に入れた、太いストローの筒からゴムの吸着盤がついた「矢」をふっと吹き飛ばす吹き矢も、父は見た途端目を輝かせ、大判のカレンダーの裏の白い面に同心円の的を描きリビングのドアに貼り付け、そこから4,5メートルほど手前の床にテープを貼った。「フッ」と矢を吹き出しては、紙の的に「ペタッ」とくっ付ける、安手の吹き矢遊びに夢中になったのを忘れられない。こういうことに一生懸命になる父だった。クリスマスなど家族全員でトランプの「51」で競い、末っ子の私はよく負けて無性にくやしがって泣いたものだ。子どもの目線に立つというよりも自分が楽しんで遊んでくれていた。その父が、私が高校生ぐらいの時だったか、「子どもというのはかわいいというより、面白いと思うんだよ」と言うのを聞いた。この言葉は今も一つの至言なのではないかと思う。幼児教育の授業で私はよく、「子どもをかわいいと思う感情は不安定なものだけど、面白いというのはどんなときでも持続可能ですよ」と学生に話すのだが、実はそのたびに父のことが脳裏に浮かんでいる。

大学時代に話を飛ばそう。お茶の水女子大学に入学した1977年当時、家政学部(今の生活科学部)に児童学科という学科があり、医学や心理学、法学、児童文化学など異分野横断的に、しかも非常にユニークな研究者が集結し、「子ども」を単なる研究対象としてではなく共に生きる人間の視点から学際的に研究しようという風が吹いていた。入学当初の私は、女性が働きやすい社会をつくるために保育所を日本に増やす仕事をしようと思っていた。それが変化したのは、学部3年生の時、授業の一環である特別支援学校(当時は養護学校)に行き、週に1回、障害のある子どもと一緒に遊ぶことになった。(今もこの授業は、子ども学コースの「子ども学インターンシップ」という授業に引き継がれている。)最初の日、Tくんという小学1年生の子どもと過ごした時に受けたショックは忘れられない。障害児ってなんだろう、子どもを理解するのに障害児とか健常だとか関係ないのではないか、という疑問に襲われ混乱し、その思いを記録に書き留めたのが今の研究に確実につながっている。

それ以来、子どもを理解するとはどういうことか、理解するにはどうしたらよいのか、と哲学や思想、心理臨床、文化人類学、教育史など、関係のありそうな著書を手探りし、それぞれが保育につながっていると興味が湧いて来た。卒論では保育記録を書くという行為について(1981)、修士論文では実践と省察が循環する過程について(1983)、津守真教授の指導のもとに書いた。大学院の後期課程に進学して間もなくオランダ政府奨学金を得てユトレヒト大学教育学研究所に留学。現象学的教育学で著名なM. J. ランゲフェルトやE. フェルメールと個人的にお話しする機会に恵まれ、研究所では「ユトレヒト学派」の後継者R. ルベルスやT. ベークマン等のご指導を得ることができた。片言のオランダ語ではあったが、Hannekeという11歳の少女との遊戯療法を体験し、当時助手だったJ.ド・フリース氏のサポートを受け、少女と私の名前がフュージョンする意味について後に論文を書いた(1987)。

帰国後は、なかなか博論を書けないまま結婚・出産、いくつかの専門学校、短大での非常勤講師、一時は「主婦」という肩書しかない時期も経て、30台後半から十文字学園女子大で専任教員に、保育者養成教育の洗礼を受け、様々な多くの幼稚園や保育所・児童福祉施設の巡回をしながら、同僚にも恵まれ貴重な学びを経験した。40台に入ってようやく「発達と育ち」をテーマに保育者論を博論としてまとめ、お茶の水女子大学に職を得て現在にいたる。